土佐女子高等学校第105回卒業証書授与式式辞
学校長 石井道夫
土佐女子高等学校第105回卒業証書授与式にあたり式辞を申し述べます。
まず、本日の式に際しご多用にも関わらず時間をお献げくださり、ご臨席くださいましたご来賓の皆様に厚く御礼申し上げます。皆様にはこの日をもって土佐女子を巣立って行く280名の姉妹たちの姿を最後まで温かく見守っていただければ誠に有難く存じます。
また、保護者の皆様には、お子様方のご卒業を慶び教職員を代表し心より祝い申し上げます。誠におめでとうございます。また、皆様には、お子様方の人生の基礎となる時期の教育を他ならぬ本校にお託しくださり有難うございました。心より御礼申しあげます。
さて、高等学校3年生の皆さん、ご挨拶が後になりましたが卒業おめでとうございます。皆さんひとりひとりに心よりお祝い申し上げます。いよいよ終わりの時となりました。この時、皆さんの心に去来するものは何でありましょうか。先日の予餞会の冒頭で紹介された入学から今日までの学校生活のひとこまひとこまでしょうか。また、そのひとこまとしての、ホームやクラブで与えられた出会いと交わりの中で経験した喜びや悲しみでしょうか。あるいは高校生活を全うしたという安堵感、晴れがましい気持ちでしょうか。また、卒業後の生活に対する期待や不安も心のうちに行き来しているかも知れないと思います。
私は、皆さんを生徒として受け入れ、送り出そうとする立場にある者として、皆さんの土佐女子における生活が概ねよしとすることができるものであったならば、と思いつつ、皆さんのこれから歩んで行かれる人生が幸多きものであるようにと念じています。
さて、を重ねて恐縮ですが、これから2つの言葉を示しながら皆さんにお話をします。最初の言葉は土佐弁です。
先日、高知新聞の「視点」という欄に「いい日本語を世界語に」と題する文が載りました。内容は次のようです。「ノーベル平和賞の受賞者ワンガリ・マータイさんの口を通して、日本語「もったいない」が世界の共通語として幅を広げている。(中略)十数年前、まだ経済繁栄の余韻がくすぶる中、故福田赳夫・元首相は「もったいない運動の勧め」を次のように書いている。「資源有限時代という認識に立ち返り、このもったいない運動から地球全体を見直すきっかけにすべきだと思う。人類生き残りのために」。(中略)龍馬は、維新に向かう歴史の胎動の中で「日本丸を丸ごと洗濯いたし申候ことに」と乙女姉さんに書き送った。郷土の建て直しも日本、いや世界に通じる土佐弁を探し出すことから始めてはどうだろうか」。
と、折りしも、中央では元知事の大学教授の提唱により現職の知事、学者、経済人が今お話した、龍馬の「せんたく」という言葉を掲げて私たちの社会に山積する問題に取組もうと運動(平成の民権運動)を始めたというニュースが飛び込んで来ました。高知の人と言葉の歴史が改めて見直されています。
ところで、現在私たちの国はグローバル化という名のもとに、世界的規模で急速に拡大する経済を中心に政治と社会がこれに引きずられる形で動いている、歴史上まれにみる大変動の中に置かれています。そして、この大変動は否応なしに世界の全ての国と人を巻き込み、生活に重大な影響を与えています。周知のことですが、原油の高騰が私たちの生活を直撃し、漁船の燃料費、ビニールハウスのボイラーの軽油代を引き上げ、生活物資の価格をじわじわと押し上げ、私たちの日常を圧迫していることはまさにそのことの例に他なりません。
このグローバル化という名の妖怪は、弱く貧しい人たちを「食い物」とする本質をきらびやかなもので上手に覆い隠しながら、人よりも多く持つ(Have)ことが人生に勝利することだと人々の耳元でささやき、負ける組に入ると後がないと思わせ、なりふり構わずわれ先にとどこまでも人を走らせています。そして、このような状況のもとに生きている私たちはいつの間にかささやきに捉えられて、まるで椅子取りゲームをしているかのような気持になって、他人より自分が生き残ることを考えるようになってしまいました。
一方、戦後の繁栄は多くの国民に豊かさをもたらし、少なくとも衣食住には不自由することがない、飢え死にすることがない社会が実現しました。しかし、過度の繁栄と大量生産、大量消費に支えられた豊かな暮らしは、人々の心から「物の大切さ」や「感謝の心」を失わせ、「衣食足って礼節を知る」という言葉とは裏腹に、相手を「畏れ敬い、思いやり、気遣う」という態度を無くしていきました。そして、お互いを理解しようとせず、相手の言葉に対する聞く耳を持たず、ただ自分のことばかりを大きい声で主張する人たちが大手を振って闊歩するようになりました。
少し重い話をしましたが、明るい話をしましょう。ご承知のことと思いますが、高知には「高知FD」という四国アイランドリーグに所属する野球チームがあります。
「FD」は今年から新監督の下、再スタートを切ったということですが、創立時から昨年まで監督として高知に来られ、選手たちを指導された藤城和明さんが、先日高知新聞に「ありがとう高知の3年間」という一文を寄せられました。今、その全部を紹介することは出来ませんが、私が今日皆さんに申しあげたいこととの関連で引用させていただくと、藤城さんは次のように書いておられます。
(チームを支援してくれた人たちのことを幾つか紹介した後に)言ったことは必ず実行する「土佐の女性はすごい」。そしてその中には優しさがあり、自分のことよりこの人のためにという思いやりがあります。これが世に言う「ハチキン」かと知らされました。昔の人にはこの気持を持つ人が多かったと聞きます。しかし、時代は変わり、自分さえよければいいという時代にまだ高知にはこんな女性たちが存在しているんです。
ある猛暑の日、四国製氷のおかみさんは「あの子らかわいそうに。お父さん、うちには売るほど氷があるき、分けちゃりや」といって3年間無償で氷を提供していただきました。もう一つ。鳴門での試合の日、「お父さん、なんで徳島にはあんな横断幕があるのに高知にはないが? 作っちゃりや」「あれ作るにだいぶ金がかかるぞ」「あほ。あんたが二、三回飲みにいくのを止めたらすぐできる」・・・。三週間後に徳島より立派な横断幕が届きました。ドッキー君も同じです。恐るべし、そして愛すべき「土佐のハチキン」バンザイ。
大変心の温まる文章で、藤城さんと彼を支えた人たちの交流が目に見えるようです。
しかし、私はこの文を読んで少し不思議に思いました。何故なら、普通「売りもの」はただでは分けないからです。また、飲みに行く楽しみもそう簡単に「そうか」と言って止められるわけでもないからです。
けれども、このご夫婦は自分の大事だと思われる商売の品物、無上の楽しみから自由になって、今紹介したような会話をして、奥さんが「お父さん・・・分けちゃりや、作っちゃりや」と勧め、ご主人が応答する。そして、選手たちのところへ差し出す。
こうして、藤城さんは「はちきん」と呼ばれる高知の女性たちの「心根」にある優しさ温かさを発見し感謝とともに喜んでいます。そして、藤城さんは、はちきんを「陽気で勝気で、男勝り、男も顔負けの活気に溢れたしっかり者で、行動力に富む生活力豊かな溌剌たる女性」という一般的な「性質や行動様式」としてではなく、「在り方」として捉えていることが分かります。
「自分さえよければというこの時代に」という藤城さんの言葉が胸に沁みます。
「はちきん」の精神、それは「想像力を豊かにして相手の心を見つめ、相手に向かって心を注ぎだし、自分の大切なものをも惜しみなく差し出す」ことではないかと藤城さんの言葉を通して教えられます。藤城さんは、世の中は捨てたものでもないと思ったに違いありません。
もう一つの言葉は「梅」です。皆さんは、土佐女子の卒業生として巣立って行かれる訳ですが、これまで「梅の意匠(デザイン)」の校章を制服に付けて過ごしてこられたことと思います。この校章は、昭和17年、創立40周年の時に定められ今日まで土佐女子のシンボルとして、親子線の入ったセーラー服とともに県内外に知られ親しまれて来ました。皆さんは卒業されるともう身に付けることはなくなるかと思いますが。学校生活の忘れがたい品物の一つになるのではないでしょうか。どうか、大切にしておいて、人生の大事なときに取り出して見てみてください。
梅という花について、ある韓国の哲学者が「梅の花は気品高く、志の変わらぬ人間が愛するもの」と評しました。梅の花は気品高いというのです。この想いが人間に共通のものかどうかは分かりませんが、日本の女子の伝統校の中に「梅」の字を直接学校の名前にしているところが幾つかあります。土佐女子の校章の制定に関わった当時の人たちの思いにも同じような想いがあったのでしょうか。
梅の花を戴く土佐女子では「気品」ということが強調されます。昨年の秋から皆さんに「校風を大切にしよう」という手紙を出した時にも「気品」のことに触れました。その手紙の中で「気品」の解説をしましたが、それはこうでありました。
「では、気品とは何かということですが、土佐女子では気品は「清らかな生活」と理解されていますので、これを換言すると「この世の慣わしに馴染まない態度を持って生活すること」あるいは、その様な生活をする人から滲み出る雰囲気と考えることが出来るように思います。また、よく知られている言葉で言えば「朱に交わっても赤くならない」という生き方のことだと言うことが出来ます。では、この世の慣わしとは何か、それは「自己中心に周囲の迷惑を考えずに思いのままに立ち居振る舞うこと」ことです。「今年の漢字」に「偽」という字が選ばれましたが、自分の目先の利益ばかりを追いかけ「偽」を本物と見せた人たちの生き方にはそのような生き方が見てとれます。そして、それは良識ある人々からは品のない生き方として蔑まれたことは言うまでもありません」。
卒業生の皆さんには、卒業にあたり今一度この梅の花を戴く土佐女子で学んだことを思い起こしていただきますよう。また、繰り返し申しませんが、志の高さが「はちきんの心根、即ち、他者(特に助けを必要としている人たち)に向かって自由に開かれている態度」を指していることはお分かりのことだろうと思います。私は皆さんの卒業アルバムに「自治共助」の言葉を添えましたが、その意味が今お話させていただいたことです。
さあ、まだ寒さが続くだろうと思いますが「冬来たりなば、春遠からじ」です。焦って春を迎える必要はありませんが、卒業生の皆さんにもひとりひとりそれぞれの春が用意されると思います。皆さんの前に用意される春はひとりひとり違うかも知れませんが、どの春の道も無意味な道はありません。どうか、一所懸命その日を生きて生き抜いてください。
ある人がいいました「生きるということは、今日のいのちをうそ偽りなく誠実に生きることだ。今日という日を誠実に生きることなくして、明日という日を誠実に生きることはない」と。本当にそうだと思います。
そして、皆さんが誠実に生きていれば、きっとあなたの姿を見ている人がいて、あなたの一番苦しい時に助け手となって現れてくれるに違いありません。
卒業生の皆さんひとりひとりに豊かな出会いと交わりがある人生を歩まれることを。
また、皆さんの生き方が周囲の人々にとって喜びと希望の源となりますように。
これをもって学校長の式辞といたします。
平成二十年二月二日
土佐女子中学高等学校長 石井 道夫