「心と形」を引継いで

家庭科・礼法   森田 和子 

 三十年ほど前のことでしょうか。「今どき礼法なんて古い。」とのどなたかのご意見で、本校の授業から礼法がなくなったことがありました。その頃、礼法を担当されていたのは門田和子先生。礼法軽視に憤慨なさった先生のお顔が今でも思い出されます。ところが、一学期が始まってすぐの地区会だったと思いますが、「礼法のない土佐女子は考えられない!」「ぜひ復活を!」というご意見が相次ぎ、急遽、家庭科の時間を割いて教えることになりました。しかし、家庭科担当者では心もとなく、「やはり礼法は門田和子先生でなければ」ということで、その後はずっと先生が教えてくださっていました。
 門田先生のご在職中、「土佐女子の名物先生といえば門田先生」と言われるほど、先生のニックネームは他校にまで響きわたっていたそうです。その生活指導は大変厳しく、『憎まれ役』に徹しているといったご様子でした。少しずうずうしいと思いましたが、私は一度「お嫌ではありませんか。」と先生にお尋ねしたことがあります。先生は「十年後に分かっていただけたらいいですよ。」とさらりとお答えになり、その言葉に、私の中の何かが吹っ切れたような気がしたことをよく覚えております。卒業生の同窓会に招かれた機会に、よくこのお話をいたしますが、卒業生の皆様からは「今は十分わかっております。」とのお返事を必ずいただき、自分のことのように嬉しく思います。
 しかし、月日は流れます。いつまでも門田和子先生に担当していただくこともかないません。そこで門田加津江先生と二人で無理にお願いをして、一年間毎週一時間、中学一年生と共に研修をさせていただきました。 確かに、その一年間に学ばせていただいた内容は、四十年を越す先生の、そして、土佐女子礼法の集大成でした。しかし、正直に申しまして、私自身すでに大人になっておりましたし、幼少の頃から祖母や曾祖母から細かなことを言い聞かされておりましたので、改めて学んだ「礼法」はあまりにも当たり前のことばかりで、少し拍子抜けをした記憶があります。
 ところが、実際に礼法を担当させていただくようになり、私の認識はすっかり改まりました。生徒の顔や瞳を正面から見ながら門田先生の教授方法にそって授業を進めていきますと、その姿勢や目の輝きが確実に変化してきます。私は礼法を学ぶ意義とそれを指導する責任の重さを肝に銘じたのでした。
 門田和子先生がご病気で退職された後は、門田加津江先生と私、森田和子が、礼法を担当しております。当初は「門田和子先生のお名前の上と下を分けて二人で半分ずつ担当をすることになりました」と冗談のように説明をしたものです。
 さて、すでに絶版になっておりますが、『新しい女子礼法』の中の、今でも大切に伝えております内容を、少し長くなりますが、抜粋・紹介いたします。
 「他人をうやまい、たいせつにする心が何よりもたいせつではあるが、心の中だけで尊敬してそのことを外にあらわさねば、相手には通じない。言語、動作という形に表現されれば、相手がそれを見聞きしてはじめて、その人の心を知ることができる。
 心に思ったことは、なんらかの形で体のすみずみの表情にあらわれ、行動に示されてその人の人柄、教養の程度をおしはかられるものであるから、形には心が伴わねばならないのは当然のことである。
 しかし、ややもすると形のみにこだわりすぎて、中身の心がなくなり、うわべだけの言語動作となってしまう。反対に心があっても形にどうあらわしたらよいかを知らないため、形にはあらわさず、またあらわしても十分にあらわせなかったならば、相手にはものを知らない人間として写ることであろう。
 心から形が生まれるという、しかもその形が、形式にとらわれ過ぎてはならないが、よりよい形になることもまたたいせつである。
 「人間の生活では、どうすべきかの基礎をまずよく知り、身につけることに努力し、あとはその基礎を基にして、その場合に応じてていねいにも簡略にも、巧まずしてしぜんにできるよう心掛けてゆく。礼儀をわきまえることによって自信のある態度で物事に接することができ、人に対しても感じよく、人との生活の融和もはかられる。礼儀は人に対してするばかりでなく、人が示してくれる思いやりある態度を受けとれる自分になるためにも、心得ておく必要がある。」
 学期の終わりには、「礼法を学んで」というテーマで生徒に感想文を書いてもらっています。その中に次のような一節がありました。
 ——列車に乗っている時に前の席のおばあさんから、「あなたは土佐女子の生徒さんでしょう。分かります。」と言われましたが、どうして分かったのでしょう。——
 私は「土佐女子校の制服は有名だから、高知県内の人であれば、みんな知っていますよ」と思いながら読み進めました。彼女の文章は続きます。
 ——その日は学校が休みの日で、私は制服を着ていなかったのに。——
 この一文が気になって、私は、研修室で行われた次の授業のときに、感想を書いた生徒に目をやりました。そして、なるほどと思いました。そこには、背筋がすっきりと伸び、優しい表情で美しく正座する生徒がいます。もちろん周りの生徒も同じように座っていましたが、この人なら「土佐女子の生徒さんですね。」と言っていただけると、とても嬉しい確信をしたことです。
 私の指導は微力ながら、大切なことはきちんと伝わり、一年が終わるころにはどの生徒も礼法を学ぶ理由が分かってくるようです。今は、この土佐女子の伝統ともいうべき礼法を次の世代の先生方にも伝え、引継いでいっていただきたいと、切に願っております。

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