「知」という財産


103回生 畠山 園佳 

 私は現在お茶の水女子大学文教育学部人文科学科比較歴史学コースで学んでいます。私の青春は、中・高、そして大学とずっと女子ばかりという生活の中にあります。共学が嫌だったというわけではなく、周囲が女性ばかりという環境に身を置くことで、自立心が育ち、行動的になれるという点が魅力的で、私には心地よく感じられるのだと思っています。
 今日は、土佐女子校での生活を振り返りつつ、大学生活をご報告します。

◇土佐女子の思い出
 平成十三年の春、私は土佐女子中学校に入学しました。当初は、さまざまな校則に戸惑いを隠せませんでした。肩まで伸びた髪は結わねばならず、ソックスも鞄も学校指定のもの。しかしそんな違和感は、毎日を送るうちに自然と消えていきました。伝統とはそのようにして継承されていくものであり、それが伝統校たる所以ではないでしょうか。
 中学時代に、私には大好きなことが二つできました。一つは英語です。日本語以外の言語を理解し、使えるということにすっかり魅了され、まさに「好きこそものの上手なれ」、中学三年生までには大学入試に出題されるような英文を読めるようになっていました。
二つ目は放送部での活動です。中学に入学してすぐに放送部に入部したのですが、その時、新入部員は私だけ。それを知って教室に戻った私は、すぐに自分の前の席に座っていた友達を説得、勧誘に成功しました。(かなり強引だったと思いますが、その後も彼女と私は高校卒業まで放送部に在籍し、今でも仲のよい友達同士です。)放送部に入部してからは、発声練習や滑舌、原稿の読み方などを上級生や顧問の先生から教わり、練習に励みました。県の朗読コンクールでは優秀賞をいただきました。同じように励む他者と競うのですから、賞をいただくことは容易ではありません。校内での活動だけでなく、大会に参加して評価されることで、一層やる気がわきました。
英語の学習にしても部活動にしても、何事にも精一杯取り組むことの大切さを、中学時代に自ずと学んだように思います。
高校生になると、日々の生活だけでなくそれから先、つまり大学受験も意識するようになりました。きっかけの一つは校外模試です。初めて受験した模擬試験で成績上位者に名を連ねることができ、それを維持するために励むようになりました。問題集を解いたり、長期休暇には県外の予備校に通ったりといった工夫や環境作りもしました。勉強するのが当たり前という生活は、一旦身につくとそれほど苦しくないものです。勉強はやれば必ず成果が出ます。そういう点も、私自身を支えていたと思います。
このように書くと、さぞや勉強ばかりしていたのだろうと思われるでしょうが、そうではありません。部活動には一層熱心に臨みました。全国大会には、高校三年間連続して県代表として出場しました。受験の山場とされる高三の夏でさえ、東京での全国コンクールに出場した後、青森県で開催された全国高等学校総合文化祭に出場するといった状態でした。総文祭は、運動部で言えばインターハイのようなものです。そこで私は田宮寅彦の『足摺岬』を朗読し、優秀賞を受賞しました。
これほど忙しく過ごしていても学業と部活動の両立を果たせたのは、先生方や仲間のお陰です。いつも優しく厳しくご指導くださった先生方や寄り添ってくれた友達。そのような温もりのある学園で六年間を過ごせたことを私は大変ありがたく思っています。

◇大学キャンパスから
大学入学当初は寂しさや不安もありましたが、一年以上経った今は毎日がとても楽しく充実しています。今年の五月には学科の教授、学生たちで箱根へ小旅行をしました。お茶の水女子大学ではどの学科もこのような交流の機会を持っていて、とてもアットホームな雰囲気です。先生方と学生との距離が近いところは、土佐女子と似ているなと思います。
最初にも書きましたように、大学では歴史学を主専攻、国際関係学を副専攻として学んでいます。一年生の時には、哲学や心理学、社会学なども幅広く学びました。大学によってカリキュラムは異なるでしょうが、私の大学では他学科の講義を受講して単位を取得できます。
昨年度受講した中で最も印象深かったのは『国家の品格』の著者である藤原正彦教授の「数学パースペクティブ」です。藤原教授の講義は毎年大人気で、数学科以外の学生も多く受講します。私は数学が得意とは言えないので最初は心配でしたが、先生の講義は数学や数学者(ラマヌジャンや関孝和など)、解法に関する哲学的な話や論理における美の追究が主だったので、無理なく理解できました。講義の合間には政治論や人生論も飛び出し、常に新鮮でした。
この講義では、論理的思考、美的感覚(藤原教授曰く、天才の絶対的条件は美的感覚が優れていること)、根気強さの重要性を学びました。これらの要素は全ての学問に当てはまると思います。歴史学にしろ社会学にしろ、普段は考えないような切り口から問題提起があり、それについて思考するのですから。
先に私は英語が好きと書きましたが、今専攻している歴史学において、英語は重要度の高いものです。というのも、歴史学の文献(参考にする専攻研究の論文や著書、資・史料など)は日本史に関するもの以外は、外国語、それも英語で書かれているものがほとんどだからです。英語の講義も選択していますが、実際に英語を読解する機会は歴史学の講義の方が多いほどです。英語に苦手意識を持たないということは、例えば英文学や国際関係学といった学部・学科に進むのでなくても、有益なのではないでしょうか。(事実、大学の化学科の友人も英語の研究書をよく読んでいます。)
二年生からは専門のコースに分かれ、少人数での発表形式の講義も増えます。大学の講義は九〇分単位ですが、一コマ九〇分を与えられ、自分の調べたことを発表します。もちろん事前に資料も作成します。ただ講義を聴くよりも勉強量は断然増えますが、とても充実した学びができます。時には自分の解釈が「新たな視点」として評価されることもあり、嬉しく感じます。副専攻の国際関係学では、オセアニアやカリブ地域のこと、グローバル化がもたらす影響などを学んだり、留学生たちと日本文化や外国文化について討論を交わしたりします。さまざまな分野を学んで、多面的に物事を考えられるようになりたいです。

◇在校生の皆さんへ
 自分が興味を持っていることや好きなことはどれだけ勉強しても飽きません。大学生になってこのことに改めて気づきました。
それでも、まんべんなく教養を身につけられるのは中学・高校時代ではないかと思います。確かに、中学・高校では、大学に入ればあるいは社会に出れば使わないような勉強もします。しかし、私は「知ることは財産だ」と考えます。後輩の皆さんには、専門的ではないけれど物事を幅広く知る機会を与えられている、貴重な中高の六年間を大事にしてほしいと願います。先生方から多くを吸収して、自身の内面の成長につなげていってください。

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