心を育む
◆海を渡る書
夏の午後、ウィーンにあるオーストリア日本国大使館広報文化センターに、人々が集まってきます。その顔は皆、生き生きと明るく、彼らがこの日を待っていたことを表しています。
この会場で、私が書のワークショップを始めて、今年で九年目です。集ったオーストリアの老若男女は筆を持ち、各々の作品を仕上げます。私の添削で赤丸をもらうと、ドイツ語や片言の日本語を使って喜びを表し、集中力と緊張感の中に、満足感が生まれます。彼らの真摯な取り組みには、指導する側として学ぶところが多くあります。
ここでは同時に、日本から持参した作品の展覧会も開催します。土佐女子高書道部生徒の作品も展示されますが、大変好評です。
このような、「書」を介した国際交流が、日本大使館の多大なる協力をいただきながら継続されるきっかけとなったのは、約二十年前、私が三年間、ウィーン日本人学校長として勤めたことです。その期間は、学校勤務の傍ら、日本からの書道展開催の企画に幾度となく協力しました。
最近では、土佐女子高校生の作品をウィーン大学日本語学科に贈って校内に飾ってもらったり、高知県内の小中学生の優秀作品をウィーン日本人学校の文化祭に毎年展示し、国際色豊かな世界の少年少女に鑑賞してもらったりもしています。
今年も八月下旬に渡欧する予定です。
ウィーンでもう一つ勉強になるのは、市民生活に「思いやりの心」が徹底している点です。彼らの日々の暮らしぶりや振る舞いには、高齢者や身障者といった弱者の視点に立ったものが、実に多く見られます。また、それらが一時的なものでなく、伝統的に根付いていることにはいつも感心させられます。
興味深いのは、最近の食の嗜好の変化です。ウィーンは人口約百二十万人の都市ですが、市内に約六十店の「寿司屋」が誕生しています。アメリカの日本食ブームはよく知られていますが、欧州ウィーンにも、美容と健康のために日本食を好む人々(やはり若い女性が中心)が増加しているようです。
◆無言授業
さて、書写・書道の実力向上に大切なのは集中力です。集中力を養成するために、本校では「無言授業」を行っています。その時間の目標が定まって書き始めると私語禁止です。中学生では少々時間がかかることもありますが、それでも、心をこめて筆を動かしている友人に声をかけるような思いやりのない生徒はほとんど見られなくなります。心を落ち着けて集中できる生徒ほど、進歩も早いものです。リズムのよい運筆には、まるで向上の喜びが充満しているようです。
また、本校書道部はここ数年、百人を越える部員数となりました。
十年ほど前からは、伝統と権威のある全国展(例えば全国学生書道展)への参加と入賞を、部の目標にしています。最近では、何か特技を持っている生徒に門戸を開く大学入試制度があり、その方式を採用する学校も増えてきました。全国展で好成績を修めた書道部員もその恩恵を受けており、過去十年間では早稲田大学に五名、立命館大学に四名他、多くの合格者を輩出しています。
そういったこともあり、平素の練習では、個々の長所を伸ばし短所を補うよう心がけていますが、なかなか難しいもので、部員たちが満足できる指導のあり方を自問することも多いこの頃です。
◆文武両道のすばらしさ
最後に、私が高知大学附属中学校勤務時代の教え子N君(現在、日本航空勤務)の言葉を紹介しましょう。
N君は当時中学二年生。野球部員でありながら、常に学業成績はトップクラスです。感心して勉強方法を尋ねた私に、彼はこう答えました。
「僕はいつも野球部の練習で疲れ果てています。帰宅して夕食を取ると、宿題を済ませて入浴するのが精一杯で、朝までぐっすりと寝てしまいます。だから、勉強の真剣勝負は学校の授業中です。夜更かしをしていないので、先生の言葉の一語一語がしっかり耳に入ります。覚えるのもその時間内で、集中力の大切さを実感しています。」
その後N君は東京大学に進学し、東京六大学野球ではいつも最下位であった東大を四位に躍進させた主戦投手として有名でした。
私は、この土佐女子校にもN君のように文武両道を果たせる生徒が多く在籍していると感じています。彼女たちの今後を楽しみに、何か力添えができればと考えています。